演劇から考えるSW2.0 シナリオ論
演劇を趣味程度でやっていまして。その時、脚本や演出、舞台監督なんかを主にやっていたのですが。
その時の脚本を書く際の心得のようなものがセッションにも通ずるものがあったなぁと思ったので、自分なりのシナリオ論といったものを纏めてみました。
ちょくちょく演劇の話が入ります。
あくまで個人的な意見です。興味のある方は是非。
1.やりたいことから逆算する
何のために、その脚本を創るのか、訴えたいものはなんなのか、そういったものが入っていない脚本は基本的に面白くない脚本とされていました。(少なくとも私が見たり評価を聞いた限りでは)
これは、創作全般に言えそうな話ですし、セッションでも同じではないでしょうか。
何のために、という部分は比較的何でも良いんですね。例えば、単純にただお客さんを笑わせたい、でも良いですし、反戦争を訴えたいでも良いですし。
セッション風に言えば、冒険者が魔剣を守るドラゴンを斬り伏せるカッコいいシーンが観たいから創る、超高難度のダンジョンハックをさせたい、なんかでも良いわけです。
こんな事をやりたい、伝えたい、というベースがあって、それをどう表現するのか、という風に逆算していくと、必要な舞台装置や役者が必然と出てくるのではないかと思われます。
上で言えば、どうドラゴンが倒されると冒険者が引き立つのか、なんでドラゴンを倒す必要があるのか、なんて風に広がって行くわけですね。
この芯がしっかりしてないと、見て貰った後に「で?」と言われかねないですし、折角作ったのに何も残らないと悲しいですよね。
2.最初の五分で寝るかどうか決まる
良く「最初の五分が面白くなかったら、客の半分は寝る」なんて先輩に言われていました。実に的を射ているなあ、としみじみ思います。
小説や漫才でも、掴みが大事だというのは重々言われていますし、これもセッションでも同様でしょう。
最初が大事なのはわかる、じゃあどうすれば良いのか。自分なりの答えとして、『最初に謎を置く』というのが最も効果的ではないのかと思われます。
私が過去に見た脚本で、非常に感心したものがありました。
舞台に椅子が並んでいて、唐突に椅子取りゲームが始まります。
椅子が一つ減り、会話が始まり、また椅子取りゲームが始まる。
疑問に思います。『この椅子が全て無くなったら、どうなるんだろう?』と。椅子が無くなりながら変化していく脚本に、椅子が無くなった後のオチが気になって気になって、見入ってしまいました。
これは一つの例ですが、やはり冒頭に漠然としたまま話を出されても、モチベーションが上がりません。
SW2.0風に言えば。
最初に『××村でゴブリンが出るから退治して欲しい』という依頼を受け、その村に冒険者が向かう事になりました。
村長や村人に話を聞くと、「ゴブリンが畑を荒らして行くのを見守るしかなかった。森を根城にしているみたいだ」なんて情報が手に入ります。そして、ゴブリンを退治する、こういうシナリオだとダメだと私は思います。
意図的に謎を配置するならば、退治して欲しいという依頼を受け、証言を聴くと「何故か全員、揃いの奇妙服を纏ったゴブリンが畑を荒らし、何故か果物だけを取っていくんだ」と言われた。
なんて風にするとどうでしょうか。俄然、「なんだそのゴブリンは、本当にゴブリンなのか?」「なんで果物だけなんだ、裏に何かあるのか?」なんて好奇心が掻き立てられませんか?
冒頭に疑問を創るというのは、簡単かつ効果的なモチベーションを上げる工夫の一つではないかと思います。何故か、という感覚を大事にしたいですね。
勿論、退屈な依頼だったとおもいきや、調べていく内に謎が増えてく、なんて工夫もあります。
とにかく、客の心を掴むための何か工夫が欲しい、というものですね。
3.場面転換を極力避ける
演劇では、場面が変わることを『暗転』や『場転』という風に言います。例えば、舞台が教室だったのが、場所が校庭に移る時に『場転』するなんて言うんですね。
どうやって変えるかというと、
~教室~
『それじゃあ、次体育だし、校庭に急ごう!』
『うん!』
暗転。
『いやあ、校庭は寒いなあ』
の暗転時に、舞台が暗くなりますから、役者は裏方が一生懸命暗闇の中、教室の舞台用の大道具(机や黒板)や小道具を運び出します。
場面を転換すると、脚本の幅が広がりますが、映画や漫画と違って間が生まれてしまい、観客の集中が途切れます。なので、最低限に留める必要があります。
TRPGでも、××の国から××村に移動した、なんて場面転換は容易ですが、視覚情報に頼れませんから、場面が変わる度にPLの想像力が要求されてしまいます。例えば、××村の中での移動ならまだ良いですが、舞台そのものがコロコロ変わると疲れてしまいます。
なるべく、負担を減らす心がけが必要ですね。
当然、全てに丁寧な描写を用意すれば緩和されるでしょうが、それでも必要の無い場面転換は極力避けるべきでしょう。
4.思っている以上に思ってることは伝わらない
芝居の練習なると、同じ場面をそれこそ10や20どころか100は繰り返します。
そうなってくると、脚本家兼演出家なんてやると尚の事、脚本1冊セリフ全部覚えるなんて事もあります。
すると、自分の中では完全にその脚本への理解があって、セリフの意図から背景まできちんと想像できるわけです。
そして、これが厄介なんですね。
自分の作品であれば、登場人物の名前を全員把握しているのが当然ですが、人様の舞台を見終わった時、覚えてる登場人物なんて主役級数名が精々です。初めて見るものに対して、自分が提示した情報を理解して貰える量なんて、極々僅かです。
そうなってくると、「あの時名前出したから、覚えてるだろう」なんて目算は甘すぎるわけですね。自分で「えー、こんなに示したらくどくない?」ぐらいでようやく適切といった位でしょう。
出しすぎ位で丁度いい、というのを心がけたいですね。折角作った秘密を出し惜しみしたい気持ちはわかりますが、積極的に公開しなければ、ピンポイントで読んでもらえるということは中々無いです。
(勿論、勘のいいプレイヤーはいますから、面子に合わせて調整できるのであればすべきでしょう。)
ですから、なるべく情報の伝達をスムーズに行う工夫が必要です。
何人も何人も必要かどうか微妙なNPCを多く登場させるのは、間違っていますし、主要NPC意外に仰々しい名前なんて必要無いわけですね。
寧ろ、記号化した情報を用意する位で良いと思いますが、これについては長くなるので割愛!
5.秘密を共有させる
いわゆる、『志村! 後ろ!!』です。
あれも、演る側と観る側の共有を行い、いい意味の焦燥感を与えることができているんですね。
読者は、AちゃんはBくんのことを好きなのは知っているが、BくんはAちゃんが好きなことを知らない。これも、Aちゃんの秘密を読者と共有しているわけです。
過去に見て面白かった脚本の話ですが、Aちゃんは女の子ですが、男の子の格好をしています。
Bくんが、男装したAちゃんを見て、恋してしまいます。Bくんは、『男に、こんな胸が高まるなんて……!』と苦悩します。観る側はAちゃんが女の子ということを知っているので、その悶々とした姿に『女の子だから良いんだよ!!』なんて教えてあげたくなる、でも出来ない。この焦れったさに笑いや、わかった時どうするんだろう、なんて疑問を与えられます。
観客と、秘密を共有するというのは物語を盛り上げる便利な手法です。
また、人間、秘密を共有すると親近感が沸きます。貴方だけに、このことを相談、なんてされると嬉しくなっちゃいますよね。
秘密の共有のポイントは、もどかしさと親近感です。
PL達だけAというNPCが実は軟禁されてるお姫様だということを知っている。しかし、PC達は知らない。また、それを公開することはできない。なんていうのがテンプレート的な例でしょうか。
PLのどうにかしてあげたい、なんてもどかしさがPCも伝達して行動に親しみが生まれますし、焦れったさがモチベーションへと繋がります。
PCとNPCだけの秘密でも当然OKです。具体例が下手でしたが、秘密を共有するというのは、実に様々な効果を与えられる便利な方法で、TRPGだと組み合わせ易いのです。(PL知識とPCは違う、というやつですね)
6.どんでんがえし
特に項目立てて言うほど目新しいものではありませんが。
やはり、物語として起承転結を意識するのは当たり前ですし、この転や結に差し掛かるところで、ひっくり返す何かが欲しいですね。
平坦な物語はやはり退屈です。
上記にある、冒頭に謎を置くという工夫と組み合わせると、楽にひっくり返すことができますね。あんまり、くるくるすると純粋に楽しめなくなってしまうので、注意も必要ですが……。
脚本を書いていた時、ひっくり返すのなら大きく、とよく言われていましたが、自分は必ずしもそうとは限らないんじゃないかと思います。
凄く怖い大蛇だと思っていたのは、実は弱い狸の変化だった、なーんだ、あはは。……ここから、安心したところをどんでんがえししたくなりますね……。やはり、ひっくり返すのは大きく、なんでしょうか(笑
他にも、書きたいことはありましたが、演劇とは離れた単純なTRPGのマスタリングの話になるので、控えます。
どうでしょうか、自分なりに意識していることを纏めてみましたが、中々……いつもこれが上手く言っているかと言われると……いってませんね!
最後に一つ纏めると……こういう理論的な話をやる友だちが欲しい!!(笑)