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TRPGに引きずり込めそうな人種とは? ~カイヨワ先生から学ぶTRPG沼~

 

ロジェ・カイヨワの『遊びと人間』によりますと、遊びには以下の四つに分類されるか、複数兼ね備えているようです。

 

競争(アゴン)

 

偶然(アレア)

 

模倣(ミミクリ)

 

めまい(イリンクス)

 

 

つまり、TRPGと同じ要素を兼ね備えている遊びが趣味の人間であれば、TRPGに誘い込めるのではないかという仮説です。

 

では、TRPGが持っている要素とは何か。

 

まず、模倣は当然わかりやすいですね。模倣にあたる遊びは、演劇や子どものママゴトと言ったごっこ遊びがそれに当たります。

ロールプレイングゲームですから、当然模倣の要素は持っていることでしょう。

 

次に偶然。ゆうやけこやけと言った特殊な例を除いて、殆どのTRPGはサイコロを用いた運の要素に委ねることが非常に多いですね。ですから、当然偶然も持っている事でしょう。

 

競争、に関して言えば、後述したいと思いますが、一先ず当てはまらないと区分します。(競争は、スポーツや格闘競技等、文字通りの区分です)

 

目眩に関して言えば、今回も外します。目眩の例は、ジェットコースターやメリーゴーランドと言った緊張をもたらすものですね。

ダイスに賭ける、といった意味では緊張する側面もあるでしょうが、どちらかというと偶然の範疇ですし、基本的にゆったりとプレイするTRPGにおいて、目眩は除外としたいと思います。

 

では、「模倣」と「偶然」を兼ね備えた趣味を探していきましょう。

 

 

TRPGに引きずり込めそうな趣味、その1~

 

サバゲー

 

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サバゲーを区分するなら、「模倣」と「目眩」でしょう。

TRPGが「模倣」:「偶然」=7:3程度の割合と考えられます。ですので、模倣の要素を持っている遊びは基本的に相性が良いかと思います。

 

サバゲーは、ある意味最大のごっこ遊びでしょう。実際に人が死ぬわけでも無く、ガンガンに戦争さながらの装備を固めながらBB弾飛ばし合って喜んでいる姿はまさにごっこ遊びです。

(※自分もサバゲーが趣味で、決して貶めるような発言ではありません。余談ですが愛銃は89式とHK45です)

 

また、これらの「模倣」に加えてサバゲーはよりTRPGと親和性が高いと言えます。なぜかと申しますと、

 

少し面倒な話ですが、カイヨワ先生はこれらの遊びに対して、

 「パイディア」と「ルドゥス」という言葉を用いて説明しました。

 

「パイディア」は簡単にいうと、パイディアは騒いだり、無邪気にはしゃぐ……遊びにおいて自由な側面ですね。

 

「ルドゥス」は逆に縛って楽しむという要素です。恣意的ではあるものの、強制的なルール内でわざわざ遊ぶということです。

 

矛盾した二つの要因を遊びは兼ね備えてると述べています。上の四つの分類に加え、遊びはこのどちらかに傾きがあるんですね。

 

当然、TRPGは俺ルールでは遊べませんから、自由というよりもルール内で如何に盛り上がるかという点から、「パイディア」ではなく「ルドゥス」寄りになります。

 

サバゲーをご存じない方の為に、少しだけ触れると。

基本的に、BB弾が一発でも被弾すると「HIT!」と叫び戦場から離脱します。勿論、自己申告ですから、当たっているのに、当たっていない振りをしてゲームを続行することができます。これは「ゾンビ行為」と呼ばれ、TRPGにおける洋マンチ位嫌われる行為です。

 

とにかく、勝敗が自己申告の紳士な遊びなわけですね。まさに、恣意的でありながら、ルール内で遊んでいるわけです。

 

「ゾンビ行為」を日常的に行うプレイヤーならまだしも、紳士的にサバゲーに取り組んでいる方は、

・ロールする楽しみを知っている。

TRPGの本質的なマナーについて理解が深い。

 

という点からTRPGと相性がかなり良いのではないかと考えられます。

 

 

TRPGに引きずり込めそうな趣味、その2~

 

『クリエイター(&卵)』

 

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当たり前と言えば、超当たり前ですね。

小説を書いたり、絵(特に漫画)を書いたりしている人はそうですが、当然演劇なんかをやっている人は特に相性がいい事でしょう。まさに「模倣」です。

しかし、意外に興味はあっても踏み出せない層が多い。

 

これに関して、分類云々を説明するより、私の体験談を一つ。

 

高校時代三年間演劇部でした。

しかし、演劇と言えば「興味はあるけど、なんか恥ずかしい」といったイメージを持たれています。何故なら、演劇部でない高校生に聞く演劇とは「ロミオとジュリエット」しか無いんですね。古典演劇であれば、そういった作風のものもありますが、高校演劇において基本的にそういった演劇はしません。

 

ですから、ああいった大袈裟なイメージが先行してしまって「なんだか恥ずかしい」という話になります。

 

そうやって敬遠する新入生を部員として確保するためにしていた手法は

「裏方でいいから、お願い!」とハードルを下げます。

もっと、正確に言えば『言い訳を作る』

 

実際、見学に来たり興味を持っている時点で「模倣」に関して何らかの関心がありますが、「恥ずかしい」という感情が邪魔しているわけなんですね。

 

その次は「どうしても役者が足りなくて、下手でもなんでも良いから、演ってくれ!」と下手に頼みます。

すると、裏方志望で入った実に9割の新入部員は「そういうことなら……」と役者をやります。そして、その後は裏方なんてやってられるか! 役者をさせてくれ! となるわけですね。

実際に演ってみると、そう恥ずかしい脚本はなく、楽しいんですね。

先行していたイメージが崩れ、その後も積極的に参加すると。

 

しかし、残りの一割は本当に裏方仕事がしたい面子なので、そういう性質の子は深入りしない方が良いですね。

 

このことから、TRPGで言えば、TRPGやりたいんだ! やろうやろう! と、行うことに対しての選択権を向こうに委ねるのは良くないと考えます。

やるかやらないかを向こうの選択にして責任を持たせてしまうと、恥ずかしい想いをした場合の責任を自分で負わなくてはならないわけですね。(実際に恥ずかしいことをする事は殆どありませんが)

すると、それなら……と敬遠されます。しかし、こちらで言い訳を用意して参加させると「恥ずかしい思いをしても、向こうが無理やり参加させてきたから」と自分のシャイな部分に言い訳が効きます。

楽しい体験が出来ると、恥ずかしいモノでもないんだな、と学習したシャイなハートは次から大人しくなり、自分から参加する、というわけですね。

 

実際、絵や文も最初の下手くそなものが恥ずかしい、という所で一歩踏み出せない可能性が高いので、同様のことが言えるかなと、思います。

 

 

TRPGに引きずり込めそうな趣味、その3~

 

『麻雀』

 

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麻雀の第一線で研究をされている、『現代麻雀技術論』の著者ネマタ氏いわく、麻雀が何故あんなに中毒性があるかというと、カイヨワの遊びの四要素全て満たしているからではないかと。

 

麻雀にハマったことがある方ならわかると思いますが。

麻雀には運があり、競争があり、かつ目眩(大物手を張ったり)があり、そしてそこにドラマがあります(逆境からの大逆転などの模倣)

 

しかし、注意したいのが、カイヨワ先生の遊びの定義の一つに、

『非生産的活動。すなあわち、財産も富も、いかなる種類の新要素も作り出さないこと。遊技者感での所有権の移動を除いて、勝負開始時と同じ状態に帰着する』とあります。

 

これ意外にも定義があるのですが、こうした定義を満たさない遊びは堕落した遊びとされ、遊びじゃないよ! と言われています。

 

つまり、麻雀で生計を立てようとしている雀ゴロは外れます。

 

逆にオンライン麻雀等、最終的に金銭を得ることを目的としない麻雀が大好きな人というのは、TRPGと意外に親和性が高いかと思われます。

 

他のギャンブルも、それで生計を立てる、あるいは稼ごうと考えずに、たとえば馬が好きだから、騎手のデータやらを考察するのが好きだから競馬に通う、といった半ギャンブラー、半ゲーマーとしてのポジションの人は同様に親和性が高いと言えます。

 

 

 

 

 

 

 

 

と、ここで問題が発生しました。

早くも該当する趣味が思いつきません。

 

そこで、少し考察を

 

~もしかしたら、相性が悪いんじゃないかという趣味~

 

『ボードゲーマー』

 

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TRPGをされている方は、ボードゲーマーが多いことかと思われます。かくいう自分も、アナログゲームが大好きです。

 

ボードゲームを分類するならば、「競技」 「偶然」「模倣」ですね。

割合的に言えば、競技:偶然:模倣=6:3:1 といった感じでしょうか。

 

前述しました、「パイディア」(自由に遊ぶ側面)と「ルドゥス」(ルールに従う等縛って遊ぶ側面)であれば、ボードゲームTRPGと同じくして「ルドゥス」です。

 

一見すると、相性がよさ気ですが。ボードゲームの比重は圧倒的に「競技」なんですね。

 

ここで、後述すると言っていたTRPGの持つ「競技」についてになりますが。

 

TRPGは、あくまでGMとPLが協力して楽しむゲームですので。

決して、GM対PLという図式ではないことは皆さんご存知かと思います。

ただ、そうして楽しむという結果を得るための手段として、「競技」が行われる事はあるでしょう。

たとえば、GMが「スリルある強敵を用意したから、倒せるかな?(ククク」や、「難しいリドルを用意した! 問けるものなら問いてみろー!」といった感じです。

 

ですが、これはあくまで楽しむ為の手段として擬似的な「競技」を持ってきただけであり、TRPGの本質的な部分とはかけ離れます。

 

(仮にTRPGの本質に「競技」があれば、GM対PLでGMはいかにPLを全滅させるか、あるいはその逆というゲームになってしまいます。

余談ですが、ある意味、「パラノイア」はそうしたTRPGを皮肉り「競技」と「パイディア」に比重を置いた革新的なゲームですね)

 

ですから、ボードゲーマー専で、かつ「競技」に重点を置いている方がTRPGを始めると、TRPGにおいて「競技」性を求めてしまい、なまじ「偶然」においての考察等が出来てしまうことから、誤った方向に行ってしまう可能性があるのかもしれません。

TRPGにおいてロール不要論の中には、潜在的に「競技」性を重視してしまったPLと、「模倣」を重視するPLによる衝突だったのかもしれません。(関しては賛否両論あるかと思いますが)

 

 

ですので、TRPGボードゲーム、であれば「模倣」をボードゲームに持ち込んでも問題はありません。

しかし、ボードゲームTRPGだと、「競技」が持ち込まれてしまい、問題がある、ということですね。(持ち込まない人が多数ではあると思いますが) 

 

同様の理論で、デジタルゲーマーで「競技」を重きに置くゲーマーと、「模倣」に重きを置くゲーマーで、大きく親和性が変わってくることかと思います。

 

ボードゲームに加えて、オンラインゲームやソーシャルゲームで、他人との交流をメインにして「競技」の比重が低いプレイヤーは当然、親和性が高いでしょうが……。

 

 

 

 

 

 

さて、長くなりましたがいかがでしたでしょうか。

 

結論的に言えば、

「模倣」と「偶然」を持ち、かつ「競技」の比重が低く「パイディア」ではなく「ルドゥス」寄りの趣味を持っている人はTRPG沼に引きずり込めそうということですね。

 

参考になれば幸いです。