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魔力とは何なのか

今回は「魔力」というものに言及してみようと思う。

 

そもそも、魔力とは何なのか。例えば、真語魔法の魔力の高低は真語魔法に精通しているかに定義付けられない。

 

では、真語魔法の五階位まで使用できる優秀な学生と、片手間に真語魔法を修め一階位まで扱えるようになったカイン・ガラの宝石ジュエリィ氏が、同じ【エネルギー・ボルト】を行使した時、どうなるか。

 

その道をゆく真語魔法の学生の方が、巧く行使出来るかと問われれば、周知の如く、否である。残念ながら、【エネルギー・ボルト】の威力はジュエリィ氏が行使した方が大きい。

 

何故、こうした差異が生じるのか。ここが「魔力」という概念を紐解くにあたって考えうる基盤となる。

 

では改めて、魔力とは何なのか。

 

私が考える魔力は「大気中のマナ」を「自ら所持するマナで縁取る」為のスキル、と定義付けすることを提唱した。

 

かつて、カルゾラル領に大気中のマナを吸収し、恐ろしい威力を発揮する兵器が存在した。この時、大気中のマナ密度が低下すると魔力が低下したという記録があった。

また、歴史上確かな事象として、カルディアが砕け大気中にマナが満ちてから魔法が盛んになった。

 

これらの事から、自身が所持するマナのみで魔法を構築している訳ではないと言えるのは間違いないだろう。

 

すると、原則的に、魔法の存在が占める大部分の割合は、大気中のマナで構成されていると考えられる。

つまり、魔法が行使される流れとして

『大気中のマナを操作する』→『大気中のマナである程度の形作る』→『発現したい魔法として縁取る』→『それに伴い自身の持つマナを放出する』→『行使される』

 

という手順が考えられる。この、大気中のマナを操作し、形作る作業事態は、全てのマナを扱う作業に共通する。つまり、真語魔法だろうと操霊魔法であろうと、妖精魔法であろうと、同様の手順を踏む。これは、本人の知的素養部分の問題である。

 

そうして、発現したい魔法として縁取る段階で、初めて魔法の種類によっての知識、理解が必要となってくる。高位の魔法への理解が無ければ、いくらマナを扱う技術に長けていても、その魔法の発現は叶わない。

 

また、当然の話ながら、真語魔法を構成する技術は、真語魔法を扱うにあたって共通するのだから。

十階位まで行使できる真語魔法使いが一階位の【エネルギー・ボルト】を行使するのに長けるのは至極当然である。

 

これらのことを、纏めると、当初私が定義付けた「大気中のマナ」を

「自ら所持するマナで縁取る」という話に帰結する。

この技術力を総合して「魔力」と呼ぶ。

 

「大気中のマナ」を繰るのは、本人の知的素養によって。「縁取る」技術はその魔法への理解となる。これらを合計して、「魔力」の高低が決定付けられるのだ。

 

上記の例であれば、ジュエリィ氏は高位の妖精魔法使いであるから、「大気中のマナ」の扱いは既に相当なものである。故に、一階位しか真語魔法を理解しなくとも、途中の作業までは共通しているため【エネルギー・ボルト】と言えど、強大な威力と化す。

 

また、戦闘を行う際、《魔力撃》という技術がある。自身の魔力を剣に乗せ、通常よりも高い威力を算出する。

これに良く疑問視されるのが、魔力を使うのにも関わらず自身の「マナ」を消費しないのは何故か? という問題だ。

 

これは、私の提唱する「魔力」の概念で説明するならば

 

上記の行使の流れによると、具体的に既存の魔法を発現する必要が無い為、縁取るに必要な「マナ」を放出する必要も無いからである。

 

有り体に言えば、大気中のマナを剣に乗せて斬っている訳だ。自身のマナを使わずに、大気中のマナだけを操り、斬る為、自身のマナを消費しない。

 

以上が、私の「魔力」とは何なのか? という解説とさせて頂く。

 

――――ルキスラ帝国のある学生の論文より

 

以下、彼女が友人に対して行った非常に砕けた解説

 

『折り紙って知ってますか?』

『ああ』

『例えば、鶴を折り紙で創るとして。紙を綺麗に揃えて折ったり、切ったりする力が、知力なんですね』

『ってことは、鶴の折り方を知ってるかどうか、ってのが真語魔法の理解ってことか』

『そうです。動物の折り方纏めが真語魔法、花の折り方纏めが操霊魔法ってな具合で。動物専門の折り紙の達人が、簡単な花の折り方を理解したら、花の折り方を勉強してる人よりも、綺麗な花が創れるってのが、【エネボル】の威力の違いの項目ですね』

『はー、そっちのが断然わかりやすいな。それで書きゃいいのに』

『だとすれば、単位が手に入りません』